勇者の花嫁
勇者の花嫁
一 雨の日の誓い
葬式というものは、こんなにも書類が多いのかと思った。
役所の紙、教会の紙、組合の紙。十六になったばかりの俺の署名で、父さんと母さんの人生が一枚ずつ畳まれていく。参列者は口々に「お気の毒に」と言った。けれど、これからどうやって暮らすのか、その答えを持ってきた人は一人もいなかった。
親戚のおばは救貧院の話をした。いい施設だよ、あんた一人なら身軽になるよ、と。
その間ずっと、ソラは泣かなかった。
九つの妹は、黒い服の大人たちの森の中で、俺の袖の端だけをつまんで立っていた。泣き方を忘れた顔だった。声をかけると、ちゃんと「うん」と返事をする。それがいちばん、こわかった。
雨の上がった翌朝、俺は二人ぶんの傘を持って墓地へ行った。濡れた土の匂いがした。
「……幸せにする」
墓石は何も言わない。だから続きは、自分に言った。
「俺の人生を懸けて、じゃない。俺の人生ごと、だ」
袖の端が、きゅっと引かれた。見下ろすと、ソラが墓石ではなく俺の顔をじっと見上げていた。
二 泣かない子
最初の一年のことは、正直、あまり覚えていない。覚えているのは失敗の数だけだ。
米を焦がした。塩と砂糖をまちがえた。ソラの髪を結ってやろうとして、鳥の巣をこしらえた。家計簿は三日で計算が合わなくなり、夜中に一人で床に並べた銅貨を、何度も何度も数え直した。
それでも朝は同じ時間に飯を出した。うまくもない飯を、同じ皿で、同じ席で。それくらいしか、思いつかなかったのだ。世界はまだ壊れていないと、毎朝ひとつだけ証明するみたいに。
パン屋のドナのおばさんは、店先を通るたび、紙袋を押しつけてきた。
「余りもんだよ。捨てる手間が省ける」
余りもののわりに、袋の中の甘パンはいつも焼きたてで、形だけが少し崩れていた。ソラはそれを、食べる日と食べない日があった。食べない日の分は、俺が夜中に食った。塩気がして、味はよくわからなかった。
夏の終わりの夜、物音で目が覚めた。玄関でソラが靴を履いていた。
「どこ行くんだ」
「……おとうさんたち、迎えにきたかもしれないから。おそとで、まってようとおもって」
叱る言葉は、ぜんぶ喉の奥で溶けた。俺は隣にしゃがんで、自分の靴も履いた。
「じゃあ、一緒に待つか」
二人で玄関先の石段に座って、夜明けまで待った。誰も来なかった。東の空が白んだとき、俺は自分が泣いていることに気づいた。この一年、妹の前では絶対に泣くまいと決めていたのに、涙というのは決心の外側から来た。
「……おにいちゃん、なかないで」
「泣くよ」と俺は言った。「悲しいときは泣くんだ。おまえの分も、しばらく俺が泣いとく」
ソラは俺の腕に頭をもたせかけて、長いこと黙っていた。泣きはしなかった。まだ。
その年の暮れ、ドナの店先で、ソラは急に泣いた。何かきっかけがあったわけでもない。焼きたての匂いの中で、栓を抜いたように、まる一年ぶんの涙が出た。おばさんは何も聞かずに店の奥へ入れて、俺には表を見てな、と言った。
泣きやんで出てきた妹の顔は、ぐしゃぐしゃで、ひどくて、ようやく九つの子どもの顔をしていた。
三 金と黒の春
十歳の春に、人は神様から加護を授かる。そして同じ春から、学校に通いはじめる。喪が明けたばかりの俺たちの家に、その二つの朝は同時に来た。
授職の儀。聖堂の大水盤に、子どもらが順番に手を浸していく。水面に紋がぽうっと浮かんで、司祭がその名を読み上げる。畑の紋、機織りの紋、弓弦の紋。親たちがそのたび、拍手をしたり、ため息をついたりする。
ソラの番が来た。
小さな手が水に触れた瞬間、水盤が燃えた。
金色だった。金色の焔の縁を、黒がひと筋、蛇のように走った。悲鳴のような静けさが聖堂を満たして、誰も拍手をしなかった。老司祭のバルト様が、震える声で言った。
「暁の御紋……三百年ぶりの、勇者の加護じゃ」
それからのことは早かった。祭服の人たちが飛んできて、記録係の筆を止めさせ、居合わせた親たちに固く口止めをした。このことは、誰にも。あの黒い筋のことは、なおのこと誰にも。
帰り道、当の本人は屋台の飴に夢中だった。
「ねえねえ、すごい加護なんだって。えへへ。おにいちゃん、わたし、すごい?」
すごい、の意味をこの子はまだ何も知らない。知らないままでいられる時間は、たぶんもう長くない。俺は飴の袋を持ってやりながら、できるだけ普通の声で答えた。
「ああ。世界でいちばん、すごい」
その夜、寝静まった家で、俺は自分の鑑定書を簞笥の奥から出して眺めた。六年前の紙だ。『家守の加護』。火を絶やさず、破れを繕い、病人の枕元に座る紋。同じ年の連中には「留守番の加護」と笑われた。
勇者の妹と、留守番の兄。
紙を仕舞って、俺は台所の火の始末を確かめに行った。それが俺の紋の、精一杯だった。
四 届かない剣
学校が始まると、ソラの世界は急に広くなった。
洗濯屋の娘のミムと親友になった。ガルド道場の門を叩いて、師範の爺さんに「型を千回。話はそれからじゃ」と言われて、本当に千回やった。市場ではなぜかよく、ヨルという年上の少年に会った。人懐こい男で、会うたび飴を半分に割って寄越した。
「兄貴も食うかい」
「……おまえ、いつも市場にいるな」
「俺の庭みたいなもんでね」
秋には、星降祭の御前試合に出た。子どもの部。ソラは二回勝って、三回目に、銀髪の少女にきれいに負けた。伯爵家の令嬢、リゼット。月桂の大紋持ちの、王都でも指折りの神童だという。
「あなた、面白い剣ね」
勝った令嬢は扇の陰からそう言った。「でも、届かないわ」
帰り道、ソラはずっと悔しそうに手のひらの豆を眺めていて、それから急に顔を上げた。
「おにいちゃん。わたし、あの子に届きたい」
目が輝いていた。俺はその目を、生まれて初めて見る気がした。
夜、二人で屋根に登って星を数えるのが、そのころの習いだった。学校の宿題だと言い張って、ソラは俺の膝の間に収まって星図を広げる。
その夜、妹はふいに、星を見たまま言った。
「おとうさんたちの馬車のこと。……ほんとうに、じこ、だったのかな」
風が屋根瓦の上を渡っていった。
「どうして、そう思う」
「わかんない。……おちてくる石の音、だれも聞いてないんだって。町の人が言ってた」
俺は星図を畳んで、妹の頭に手を置いた。わからないことを、わからないままにしない子に育ってしまった。それが誇らしくて、少しだけ、恐ろしかった。
五 十三歳の食卓
十三の春が来ると、子どもらの道は分かれる。上の学校へ進む者。働きに出る者。職人の親方に弟子入りする者。
その話を切り出したのは、ソラのほうだった。夕食の席で、匙を置いて、まっすぐ俺を見た。
「わたし、働こうかな」
「……なんで」
「お金、たいへんでしょ。わたし知ってるよ。おにいちゃん、夜中にお財布のなか数えてるの」
家計簿を盗み見ていたのか、この子は。俺は匙を置いて、しばらく天井を見た。言うべき言葉は決まっていたが、それを崩れない声で言うのに、少し時間が要った。
「家計は俺の仕事だ。おまえの仕事は、やりたいことを俺に言うこと」
「……こわい顔」
「顔は生まれつきだ。で? やりたいことは」
ソラは口を尖らせて、それから観念したように白状した。
「――強くなりたい。リゼットさんに届きたい。それから、いつか、もっと遠くまで」
中等学院の特待試験は、その年の夏にあった。合格の報せの紙一枚で、学費は消え、俺の夜なべはひとつ減った。ドナのおばさんは店の前に「祝」と書いた旗を勝手に出して、ソラは真っ赤になってそれを下ろして回った。
六 噂
「勇者様がこの町にいるらしい」と、最初に言い出したのが誰かは、もうわからない。
噂は水に似ている。堰き止めても、低いほうへ低いほうへ滲んでいく。教会の「定期のご訪問」が査問の顔つきになっていったのは、ソラが十四になったころだ。
バルト司祭は月にいちど、うちの居間に座るようになった。帳面を開き、決まりきったことを尋ね、決まりきったことを書き込む。そして帰り際、必ず夕食の匂いを褒めた。
「今日は芋の煮っころがしですかな。……よい家だ」
ある晩、司祭は帳面を閉じてから、ぽつりと言った。
「レン殿。神は書類をお読みにならん。人をお読みになる」
それだけ言って、いつものように頭を下げて帰っていった。あの人が味方なのか監視役なのか、俺には長いことわからなかった。たぶん、あの人自身にも。
十五の星降祭。御前試合の本選で、ソラはリゼットに勝った。
三年かけて届いた一本だった。会場は沸き、俺は柄にもなく立ち上がって叫んで、隣のドナのおばさんに抱きつかれて肋骨が軋んだ。
その夜、会場の裏手で、ソラは負けた令嬢と並んで座っていた。俺は柱の陰で足を止めた。リゼットは膝を抱えて、泣いていた。
「うらやましい……あなたは、負けても帰る場所があるのね。わたくしは、勝っても、勝っても……お父様の望む『月桂のリゼット』しか、家にいてはいけないの」
ソラは何も言わなかった。ただ黙って、令嬢の隣に座り続けた。勝った者が負けた者にしてやれることを、妹はもう知っていた。俺が教えた覚えはない。ああいうのは、教えられて身につくものではないのだろう。
その冬、ソラは高い熱を出した。汗に濡れた背中に、うっすらと紋が浮いた。金の輪郭。その縁で、黒が一度だけ、脈打つように揺れた。
母さんの形見のロケットが、枕元で、微かに熱を持っていた。
七 大人になった日
十六で人は大人になる。ソラは騎士団の士官学校を選んだ。御前試合の実績と、ガルド師範の推薦状が門を開けた。
入学の手続きには、加護の申告欄があった。ペンを持ったまま固まった俺の横から、バルト司祭がすっと紙を引き取り、事もなげに「中紋・剣系」と書き込んだ。
「よろしいのですか」
「神は書類をお読みにならんと申したでしょう」老司祭は初めて、悪童のような顔で笑った。「それに――儂はもう、報告書を書くのに少々疲れました」
その夜、司祭は十年ぶんの帳面を一冊、竈にくべていったらしい。灰の始末をしたのは俺だ。
士官学校の日々が始まると、家の夕食がひとつ減る日が増えた。教練、夜間演習、同期との付き合い。それが正しい育ちかたで、それが少し、寂しかった。
俺は俺で、夜間講座の修了証を握りしめて、魔導士の免状試験に申し込んだ。十年前に、葬式の朝に、諦めたはずの紙だった。講座の教師は偏屈で有名な引退宮廷魔導士のヴェルナー老で、なぜか俺の答案だけ、最後の行まで朱を入れて返してきた。
「時間の無駄じゃと思うなら読み飛ばせばよろしい」
「……全部読んでくださるので、やめられんのです」
「ふん」
順風だった、と思う。ひとつのことを除けば。
休みの日に訪ねて来る妹が、同期の候補生の話をする。よく気のつく男で、剣の筋がよくて、この前ソラの木剣の柄を直してくれたのだという。
相槌を打ちながら、腹の底が、すっと冷えた。
その冷たさの名前を、俺は知りたくなかった。留守番の加護が、勇者の隣で何を望むつもりだ。俺は台所に立って、必要もない鍋を磨いた。家守の紋は、こういうとき、じつに都合よく手を動かしてくれる。
八 命日の男
その男は、毎年、命日の墓地にいた。
喪服。深い一礼。言葉はなし。十年間ずっとそうだった男が、十一年目の命日、初めて口を開いた。
「大きくなられた。……妹さんも、あんたも」
男はサイラスと名乗った。元・聖堂騎士。母さんの、かつての同僚。
墓石の前で、男は十年ぶんの話をした。母さんが聖女の血族の最後の一人だったこと。ソラの本当の父親が、魔王の血を引く男だったこと。許されない恋と、逃避行と、追っ手。教団の奥にいる「浄火」という名の連中。そして、あの山道。
「落石に、音はなかった」
男は言った。
「あれは術だ。狙いは、あんたの妹さんだった。……奥方は最期に、祈りを編んだ。娘の中の夜を、自分の命ごと封じ込める祈りを。あの子の『勇者の加護』は――あの日、あの馬車の中で生まれたんだ」
どうやって家に帰ったのか、覚えていない。
俺は数日、うまく眠れなかった。飯の味付けをまちがえた。竈の火を、生まれて初めて消し忘れた。抱えたまま黙っているつもりだった。大人とはそういうものだと思っていた。
その夜、ソラは俺の向かいに座って、湯呑みを両手で包んだまま、静かに言った。
「おにいちゃん。わたしね、九つのときから、あなたの嘘の顔、ぜんぶ知ってるんだよ」
「……嘘なんか」
「じゃあ、竈の火は?」
返す言葉がなかった。妹はテーブル越しに手を伸ばして、俺の袖の端を、九つのときと同じようにつまんだ。
「わたしも家族でしょ。――半分こにして」
だから俺は、話した。全部。
ソラは長いこと黙っていた。湯呑みの湯気が消えるまで。それから、たったひとつだけ聞いた。
「わたしのこの力……おとうさんと、おかあさんの、命の代わりなの?」
「代わりじゃない」
それだけは、考えるより先に声が出た。
「――続きだ」
妹は、くしゃりと笑った。ぐしゃぐしゃで、ひどくて、あの年末の店先と同じ顔だった。
九 卒業の夜
士官学校の卒業式の夜、ソラは俺を中庭に呼び出した。
月がよく出ていた。制服の妹は、もう俺と目の高さがほとんど変わらない。
「ずっと、考えてた」
と、ソラは言った。
「この気持ちに名前をつけるの、こわかった。家族っていう言葉のなかに、隠れていられたから。……でも、わたし、大人になったので」
息を、ひとつ。
「すきです。家族としてじゃ、なく」
月明かりの下で、俺は――逃げた。
「……俺は、留守番の加護だ」
我ながら、みごとな逃げ口上だった。勇者の隣に立つ紋じゃない。おまえにはもっと。そういう言葉を、俺は確かに並べたはずだ。ソラは泣かなかった。ただ、「うん、知ってた。おにいちゃん、そう言うと思ってた」と言って、先に寮へ帰っていった。その背中が角を曲がるまで、俺は動けなかった。
数日後、幼馴染のピノが、うちの扉を蹴破る勢いで入ってきた。あいつは十歳の春、水盤に何の紋も浮かばなかった男だ。白紋。それで王都いちばん陽気に生きている男でもある。
「聞いたぞこの唐変木。加護がどうしたって?」
「……おまえには関係」
「あるね。なあレン、加護で人の値打ちが決まるんなら――俺は空っぽか?」
言葉に詰まった俺の胸ぐらを、ピノは掴まなかった。代わりに、台所の椅子にどかりと座って、勝手に茶を注いだ。
「お前の十一年はよ、紋章録のどの頁に載ってんだよ。言ってみろ」
その翌週、今度はヴェルナー老が、前触れもなく免状試験の結果を持って現れた。合格の印の下に、見慣れない書付が添えてあった。精密鑑定の写しだという。
「暇つぶしに、おぬしの紋を測り直した」
老人は茶も飲まずに言った。
「家守の加護には、妙な癖がある。同じ火を守り続けた年月のぶんだけ、静かに、際限なく強くなる。……わしは宮廷で天才を百人見た。じゃが、十一年、一日も欠かさず同じ火を守った男は」
老人はそこで初めて、俺の目を見た。
「おぬしが、初めてじゃ」
その夜、俺は母さんの日記を、最後の頁まで読んだ。ずっと、読み切る勇気がなかった頁だ。
――この子が、誰かをちゃんと愛して、ちゃんと愛される人になりますように。できたら、特別なんかじゃなくていいから、笑って暮らせますように。
窓の外がしらむまで、俺はその二行を読んでいた。それから顔を洗い、いちばんましな上着を着て、返事をしに出かけた。
十 三百年目の夜
その年、空の色がおかしい夜が増えた。
三百年の封印が、緩みはじめていた。ソラの背の紋は、日ごとに黒の面積を広げた。夜がこの子を呼ぶのだと、バルト司祭は青い顔で言った。教団の奥からは、恐れていた決議が降りてきた。――三百年祭の夜、「器」を浄化する。
世界が、妹を差し出せと言っていた。
その晩、うちの台所に、全員が集まった。ドナのおばさんはパンを三十個焼いてきた。ガルド師範は酒を、ミムは店中の花を、ピノは軽口を持ってきた。リゼットは家を捨てる覚悟で作戦図を広げ、諜報部のセレネ士官は「これは独り言ですが」と前置きして機密を三つ漏らした。バルト司祭は祈りを、サイラスは剣を。そして最後に、ヨルが来た。十年、飴を半分に割ってきた男は、戸口で頭を下げた。
「――俺は、あんたらを騙すために寄越された側の人間だ。今日から裏切る。あんたみたいな兄貴が、俺にも欲しかったんでね」
狭い台所だった。世界の命運を握るには、あまりにも狭くて、湯気くさくて、うるさかった。
ソラは全員の顔をゆっくり見回して、最後に俺を見た。
「行くよ、わたし。……わたし、勇者だから」
それから、少し笑った。
「帰る場所があるって知ってる勇者は、負けないんだって。――ね、おにいちゃん」
三百年祭の夜のことを、俺は生涯忘れないだろう。
封印の間。浄火の審問官の、燃える正しさ。魔王の残滓の、底のない夜。仲間たちがひとり、またひとりと膝をつく。俺の紋にできることは、変わらず、地味だった。倒れた者の傷を塞ぎ、折れかけた心に火の粉ほどの熱を送り、消えかけるものを、消さない。それだけだ。十一年ぶん、それだけを。
祭壇の前で、ソラの紋が黒に呑まれかけた。夜が妹に囁くのが、離れていても聞こえる気がした。おまえは器だ。おまえのせいで親は死んだ。夜になれば、もう誰も傷つかない――
剣も、魔法も、届く距離ではなかった。だから俺は、届くもので叫んだ。
「ソラ! ――終わったら、夕飯なにがいい!」
夜が、一瞬、止まった。
「……っ、は……なにそれ……」
黒の中で、妹が笑った。
「シチュー! ドナさんのパンつけて!」
金色が、噴き上がった。
夜を斬り捨てるのではなく、抱きこんだまま、朝に変えるような光だった。三百年前の勇者が封じ、母さんが命で継いだものを、ソラは、編み直した。
十一 ただいま
世界は英雄を放っておかない。王宮は爵位を用意し、教団は聖座を用意し、広場には万の人が集まった。壇上に立たされた勇者様は、用意された長い口上を三行で切り上げて、こう言った。
「おうちに帰ります。――お嫁に行くので」
広場が割れるほど沸く中、壇の下で、俺ひとりが茹で上がっていた。
式は、うちの台所でやった。
ドレスはミムの店の仕立て、パンはドナ、立会人は司祭様、乾杯の音頭は師範、泣いたのはピノ。リゼットは「わたくしの負けは、これで二度目ね」と言って、花を投げる役を誰にも譲らなかった。
夜、客がみんな帰ったあと、俺たちは二人で墓地へ行った。十一年前と同じ道を、今度は並んで。
墓石の前で、ソラは長いこと手を合わせて、それから、晴れた声で言った。
「おとうさん、おかあさん。――わたし、幸せです」
母さんの日記の最後の頁には、いま、余白に返事が書き足してある。妹の字で、こうだ。
――おかあさんへ。わたし、特別になっちゃったけど、ちゃんと笑って暮らしてます。
(了)